夏のパーツたちの頭のうえに、羊たちがスタンバイを始める。8月の終わりに吹く風は、どうしてこんなに傷と涙と後悔の匂いをしたがるのだろうね。もう誰も泳がない海を眺めている監視員の背中が、ひどく小さく見えた日のできごと。
もう終わる空をひつじが聞いていた
夏のパーツたちの頭のうえに、羊たちがスタンバイを始める。8月の終わりに吹く風は、どうしてこんなに傷と涙と後悔の匂いをしたがるのだろうね。もう誰も泳がない海を眺めている監視員の背中が、ひどく小さく見えた日のできごと。
もう終わる空をひつじが聞いていた
絵本を読んでもらうことが大好きだった。だから今でも「かぎかっこ」は、なりきって喋ろうとする。世界に浸って、世界を想像する。絵と音が、いまの僕を形成していて、願わくは、来世また、同じ声によって僕が形成されますように。
また次も絵本を読んでくれますか
記号の羅列のようなものであっても、そこには確かに、誰かの、何かを伝えたいという感情が存在した。僕たちの螺旋の歴史のずっと深いところに、誰かと誰かのドラマがあったから今日がある。ひとはぜったい、繋がりたい生き物なんだね。
古代文字 きっと誰かのドラマなど
訪れたことのない四万十川を想像して詠んだ句を思い出した。ここは兵庫県北部の養父市、大屋川。しばらく身を置いて、そうか、心が洗われるとはこういうことを言うのだなと実感した。ぼくの中に流れる汚れた水はすこし浄化されて、また、現実へと戻っていく。
鮎跳ねる川 泣き虫はもういない
四万十川川柳全国大会入賞句
悟ったように語る君の近道は、結局やっぱり壁にぶち当たるのであって、僕たちは迷路という王道に生きているのだと考えてたい。右往左往、強がりよりも弱さを放つ。「助けて」と声に出せた人から、すこしだけ、温かい迷路に向かっていくことができる。
迷路だと思うよ生きているかぎり
ふあうすと2017年3月号「明鏡府」掲載
「忘れたいことを忘れられる薬」とか「大切な人の心臓の鼓動が止まったら、自分の心臓も同じ瞬間に止まる薬」だとか。もしかしたら、とっくにもう、完成しているのかもしれないけれど、引き換えに、悲しみの意味を人が忘れてしまっては困るから公表しないんだ。なんて、どこかの谷にある村で言い伝えられていそうだなって。
忘れ方ばかり忘れてしまうんだ
ふあうすと2017年3月号「明鏡府」掲載
会う人のいいところを、ちゃんと、言葉にして伝えようと思っている。見えたもの、感じたもの。だから、飾る必要はない。飾った言葉ではないから、それを一生懸命に覚えておく必要もない。次に会うときもまた、同じように、僕はその人のいいところを伝えられる。笑っていてほしいし、自分も楽でありたい。暗記科目のような社交辞令は、どうにも苦手だなぁと感じている。
いいですねまた今度是非ご一緒に
ふあうすと2017年1月号「明鏡府」掲載
言葉のなかに約束があると安堵する。そうか、未来を描いてくれたのか。そうか、また会えるのか。自分に自信を持てない僕は、ひとの時間を借りようと自分から誘うことが苦手だ。大きく生きているように見せて、小心者。だから嬉しくなる語尾がある。
約束を含んだ語尾を待つ巨人
ふあうすと2016年11月号「明鏡府」掲載
選ばれ続けることだけを考えていればいいのに、蹴落して自分の立場を守ろうとする。それでも果たされなければ、すねてひがんで「行かないよ」の言葉をかけてもらおうとする。弱くて弱くて弱くて、そんな小ささと対比してしまうくらいの大きさと眩しさ。
奪われてなるものかってひがんでた
ふあうすと2016年11月号「明鏡府」掲載
ようやくやってきた「要するに」。けれど、また、そこから迷宮は続く。迂闊な相槌は良くない。ここは「とりあえず」で切り抜けてみせる。もうすぐだ、きっとゴールはもうすぐだ。「あ、そうそう、それと言い忘れたんだけど」。マケルナニシバタ。
「要するに」から終わらないラビリンス
ふあうすと2016年6月号「明鏡府」掲載
生きて生かされているということは、誰かの時間を借りているということ。そんな風に思うから、つい、連絡を先延ばしにしてしまう。明日が同じように来るとは限らず、今日の躊躇は、永遠の沈黙になってしまう可能性もある。何の用もないときにかかってくる電話は、何の用もないからこそ特別な意味があって嬉しい。僕も君の中に生きている、生かされている。
用はないけど電話したかったんだ
ふあうすと2016年6月号「明鏡府」掲載
解決を求めたいときもあれば、黙ってうなずいていてほしいときもある。そういう空気を敏感に察知して、表情や立ち位置を変えられる人のことは心から尊敬する。聞き上手で寄り添い方のうまい人は、自分の負はどこで解放しているのだろうね。いつかは前へゆく道も、いまは座っていたい、そんな夜の、そんな隣の。
前向きな人が重たい夜でした
ふあうすと2012年1月号「明鏡府」掲載
「遅れちゃってごめんねー。違うのよ、途中で忘れ物に気付いちゃって。それで慌てて戻って。走ったんだけどね、電車が待っててくれなくて。わたしのこと見えてるんだから、待っててくれたらいいと思わない?ひどいわよねー」という愚痴を、待っていた方が笑いながら聞いている。いい人なんだろうなぁと、僕はそれを見ている。
遅刻してきたひとがまず愚痴を言う
ふあうすと2016年4月号「明鏡府」掲載
春、環境や人間関係に変化が訪れる。心に波の来ないようにしても、万人に好かれるわけもなく、ならばと開き直って出していく自分の色。のち、上げすぎた自分から深い場所へと沈む。埋もれないようにするのは、守るもののため。守りたいものから認められたらそれでいい。それでいいのに。
先生に嫌われるのも個性 春
ふあうすと2016年4月号「明鏡府」掲載
誹謗中傷、ウワサ話。誰かを叩いて下に見て、そして自分の地位を安定させようとする。無責任な話のいくつかに巻き込まれて死にたいと思うこともあった。それでも、ちゃんとまた、朝はやってきてくれる。僕は誰かを長い夜に閉じ込めていないだろうか。自分を守るための言葉でありたいと振り返る、一日の終わり。
叩いても朝は壊れず来る 以上
ふあうすと2016年4月号「明鏡府」掲載
ボートを借りて池の真ん中に漕ぎ出せば、すぐに昔に戻れそうな気がする。すぐに昔に戻れそうな気がしてしまうから、借りることを躊躇もしてしまうのだけれど。切なさを伴うむかしむかしのあたりには、いろんなスイッチがあって近付くのは危うい。見ない振りをして、ボートの横を過ぎていく。アヒルたちは短針のようにのんびりと春を浮かんでいた。
貸しボート よかった頃を置いたまま
ふあうすと2016年3月号「明鏡府」掲載
1月の神戸は花がよく売れるという句を詠んだことがある。空白になって取り残された場所を通りかかると、合掌や花束を見かけて、時間は止まったままなのだなと思う。ガスも電気も止まった夜に、優しさたちが持ち寄ってくれた湯気はとても温かかった。「まだ」の人たちに、僕は何をどんな風に分けることができるだろうかと考える。
震災の夜 神様のような湯気
ふあうすと2009年3月号「明鏡府」掲載