月別アーカイブ: 2017年6月

[川柳]鮎跳ねる川 泣き虫はもういない

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Nishibata Yasutaka / 西端 康孝さん(@bata)がシェアした投稿 –

訪れたことのない四万十川を想像して詠んだ句を思い出した。ここは兵庫県北部の養父市、大屋川。しばらく身を置いて、そうか、心が洗われるとはこういうことを言うのだなと実感した。ぼくの中に流れる汚れた水はすこし浄化されて、また、現実へと戻っていく。

鮎跳ねる川 泣き虫はもういない
四万十川川柳全国大会入賞句


[短歌]サイダーの泡を世界に打ち上げてひかりになったひとりとひとり

現代詩歌にはよく「サイダー」という言葉が出現する。俳句の世界では夏の季語としても定着していて、この季節らしい青と白の対比や青春の象徴としても使われやすい言葉となっている。溢れんばかりの炭酸の勢いと爽快感。しかしそれ長くは続かず、次第に気の抜けたものとして、ひとつひとつの点になって消えてしまうのだった。

サイダーの泡を世界に打ち上げてひかりになったひとりとひとり


[短歌]あれ以来僕は詩を書くようになり君は未来を迷わなくなり

折れた枝を見かけて、この子はこれまでに何度咲いて、これから本当は、何度咲くことができたのだろうと考えた。僕も人生で、幾度かの挫折があり、その挫折があったからこそ、言葉を選べるようになったのだとも言える。起きていることには意味がある。傷は未来をつくるのだ。

あれ以来僕は詩を書くようになり君は未来を迷わなくなり


[短歌]終点はそれぞれ違う場所でした隙間を譲りあった僕らの

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トモニイコウと決めたはずの未来も、傷付けまいと悲しませまいと心を配りすぎてすれ違いが多くなってしまうことがある。どこかに、確実に、分岐点はあった。いまなら思える「あの時かな」という瞬間も、思ったところで、もうどうにもならない過去の淡い一点だ。

終点はそれぞれ違う場所でした隙間を譲りあった僕らの


[短歌]足し算をしすぎて重くなりました引けるわけなどないのだけれど

足し算をしすぎて重くなりました引けるわけなどないのだけれど #短歌 #短歌フォト #フォト短歌 #言葉 #詩 #若葉のころ

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想いが重いと荷物になって、あいだには川ができてしまう。とはいえ、想いが軽いと、今度は風に飛ばされて、僕は僕でいられなくなってしまう。結局、足し算ばかりで、大切なものを壊し続けてしまった。一生懸命に想いすぎてしまった、それもまた、昔むかしの物語。

足し算をしすぎて重くなりました引けるわけなどないのだけれど


[短歌]この風に吐息をすこしだけ足して握りこぶしに未練のカタチ

この風に吐息をすこしだけ足して握りこぶしに未練のカタチ #短歌 #短歌フォト #フォト短歌 #言葉 #詩 #大蔵海岸 #beach

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「この拳が君を守るため傷付いてもいいから」という歌詞があった。それはもちろん「守りたい」という男の承認欲求のたとえなのだろうけれど、用をなさなかった拳には、ため息と昔の風だけが触れて抜けていくことになる。昔は、こんな未来が来るだなんて、これっぽっちも想像をしなかったんだろうな。

この風に吐息をすこしだけ足して握りこぶしに未練のカタチ


[短歌]新しいコンクリートが増えてゆき青葉のころは遠くなったね

僕の住む町の駅前は急速に開発が進んで、今も心に残る音や匂いのある景色たちはすべて一掃されてしまった。手を伸ばせた届きそうだった空も、いまはコンクリートのてっぺんに、ぐんと押し上げられてしまった感じがする。若葉の頃の記憶はどんどん遠くになってゆく。

新しいコンクリートが増えてゆき青葉のころは遠くなったね