月別アーカイブ: 2016年1月

[短歌]炊きたてのご飯があれば生きられる涙の果てだ笑えウタビト

谷川俊太郎さんの書いた詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡 (朝日新書)という本がある。ホスピス医療に携わる医師が臨床エピソードを手紙に託し、老境の詩人が詩と散文で応える。医師と詩人の往復書簡。

言葉の世界に生きる僕は、死を詩に昇華させなければならない。言葉のスイッチをいれようとするたび鰹さんのことを思い出して涙をこぼしていては、きっと誰も喜ばない。僕の一部にするような気概を持って、いつかあっちで笑いながら句会をする。僕にはまだまだ磨くべき石がたくさんある。出逢ってしまったからこその悲しみであっても、この悲しみがあるからこそ、僕は僕を過ぎていった人たちを心に据えることができる。きっとそう、誰も、僕の一部。

炊きたてのご飯があれば生きられる涙の果てだ笑えウタビト


[短歌]内臓に星の願いが届くまで月よ浮かべよ星よ流れよ

元気という言葉の反対語を考え続ける。君と僕とのを足して2で割って、程良く笑っていられるのならばいくらでも捧げるものを、神様はこんな足し算は許してはくれない。祈る手のひらにどれだけの意味があるのだろうと思いながら、冬の鳥居と冬の十字架、巡って、瞼に浮かべ続けた。「どうぞ元のまんまを」

内臓に星の願いが届くまで月よ浮かべよ星よ流れよ


[短歌]「来てるよね?」「来てる来てる」と交わしてはスギで繋がる鼻腔同士よ

3月の陽気が餅たちの居心地を悪くする。ムズムズとして「来てるよね?」と聞けば「来てると思う」と返事。寒さもしんどいけれど、寒さを抜けていく間にいる敵たちも手ごわい。いろいろ憂鬱、春の雨が待ち遠しい。

「来てるよね?」「来てる来てる」と交わしてはスギで繋がる鼻腔同士よ


[川柳]震災の夜 神様のような湯気

1月の神戸は花がよく売れるという句を詠んだことがある。空白になって取り残された場所を通りかかると、合掌や花束を見かけて、時間は止まったままなのだなと思う。ガスも電気も止まった夜に、優しさたちが持ち寄ってくれた湯気はとても温かかった。「まだ」の人たちに、僕は何をどんな風に分けることができるだろうかと考える。

震災の夜 神様のような湯気
ふあうすと2009年3月号「明鏡府」掲載