月別アーカイブ: 2015年12月

[短歌]その節はどうもと言われまだ遠い君の名前の記憶を急ぐ

目が合って「その節はどうも」と言われ「こちらこそ」と返事をする。名前が思い出せない。「それではまた今度ゆっくり、マエバタさん」と言って彼は去っていく。マエカワキカクインサツノニシバタは時々、強引な省略をされて記憶されている。

その節はどうもと言われまだ遠い君の名前の記憶を急ぐ


[川柳]星の降る川でふたりの未来など

近所に明石海峡大橋を眺められるベンチがあって、寒空、カップルがやってきては肩を寄せ合っているのを見かける。紙コップの湯気がいつまでも続きますように。冬は澄んだ空気を運んで遠くを近くする。誰かは震えて、誰かには暖かい。12月の表と裏はわかりやすいね。

星の降る川でふたりの未来など
ふあうすと2013年7月号「明鏡府」掲載


[短歌]月末や年末に吹く風に在る光る刃をひとり見ている

詠む歌や句の多くに「月末」や「年末」という単語が登場するのが、いかにも自分の心境を表している。先輩たちは、経営者は孤独な生き物であると教えてくれた。なるほどなぁと思いつつも、僕の背を察しては優しい言葉をかけてくれる人が多いのも事実。刃の冷たさと人の温もりと。「しんど」と声に出てしまうような時ほど、見逃してはならないものがある。

月末や年末に吹く風に在る光る刃をひとり見ている


[川柳]語尾が好き また逢おうねという語尾が

こうでありたい、こうしなくちゃいけないという約束が増えて毎日が過ぎていく。誰かの時間を借りることはとても重たいことだけれど、誰かの未来に自分が期待されていることは嬉しい。時間や約束の持つ響きと価値について深く考えるようになった。ひとりとの出会いが、僕の人生に影響を与え続ける。

語尾が好き また逢おうねという語尾が
ふあうすと2016年1月号「明鏡府」掲載


[川柳]同じ土だね 生きるのも帰るのも

静岡たかね川柳会の加藤鰹さんにお会いした。病気であることはこれっぽっちも感じさせない笑顔、柔らかい喋り方、本当に素敵な人だった。力みなく生きて、僕も鰹さんのような句を書いていきたいと思うようになった。心に触れることがあると、句に向き合う姿勢が変わる。川柳界に僕の兄貴ができたことが幸せだ▼川柳という共通の世界にいたから会えたこと、合えたもの。継続してきて良かったと心から思う(→加藤鰹さんのブログに会った日のことを書いていただいた)

同じ土だね 生きるのも帰るのも
ふあうすと2016年1月号裏表紙


[短歌]甘い水だったのでしょう足裏の泥に咳き込む僕を忘れて

考え過ぎて損をするくらいなら、考えることを放棄してしまえば良いだけのこと。だけどそれが難しくて、水辺から少しだけ距離を置きたがる人間もいる。水の甘さに素直に笑えるひとのことを羨んで、仮面の笑いに本音を包むひとの安らいだ時間はどこに。眩しいひとから飛んできた泥に、弱さだらけの人が乾いた咳をする。

甘い水だったのでしょう足裏の泥に咳き込む僕を忘れて


[短歌]雨ならば流れてやがて晴れるのに非常ボタンを壊すミサイル

こちらの非常扉を開けば仲間が待っている、その確信があるから攻めて出ていくことができる。ところが、ミサイルにも似た雨は上手にボタンを壊していくのだからたまらない。孤立無援、右往左往、途方に暮れては悔やむばかりのアルコールの出番。二日酔いの自暴自棄の朝に、何が希望で何が決意か。居心地という響きの遠くなる文字が、冷たい画面に浮かんでいた。

雨ならば流れてやがて晴れるのに非常ボタンを壊すミサイル


[短歌]風鈴はこのまま冬を越えていきまた夏が来てその顔をする

12月になってあちこちでイルミネーションを見かけるようになった。家を飾る電飾は眺めているだけでも楽しいし、家族みんなで賑やかに飾りつけをしたのだろうと想像するのも良い。一方、近所のアパートでは風鈴が吊られたままになっている。それはそれ、これはこれ、いろんな生き方がいろんな時間の流れのなかに在る。僕は誰のどんな景色のなかに調和しているのだろうと考えてしばらく、冷たい風のなかを鳴る鈴を聞いて過ごした。

風鈴はこのまま冬を越えていきまた夏が来てその顔をする