月別アーカイブ: 2015年6月

[川柳]届かないジャンプもあったソーダ水

夏至間近、雨の重たい空を見上げながらこの原稿を書いている。すこし未来の雨が予測できるのに、ほんの未来の自分と自分に関わる人たちのことは想像ができない。科学は人の心に追いつかないのだなぁと思いながら、カビの生えそうな皮膚に触れる。明日は晴れるらしい、自分の心はどうだ▼雨や気温に関係なく、グラウンドの景色になって走る若さたちがいる。夢や目標のすべてが叶うとは限らなくても、叶わないと思って汗を流す人はいない。僕たちはいつから言い訳を追いかけてしまうようになったのだろう。

届かないジャンプもあったソーダ水
ふあうすと2015年7月号裏表紙


[川柳]もう笑わないのに 温かいいがい

春は僕の大切な存在たちの誕生日と命日が集中してる。逝ってすぐの「遺骸」は「意外」なくらいに柔らかくて温かくて、そのあとに訪れる温度の低下と硬さを想像させない。何度も何度も何度も涙で濡らせば、ずっとこのままいてくれそうな気がして涸れるまでを幾度過ごしたことだろう。桜や深緑、紫陽花たちの彩。季節のアイテムに触れるたび、小さくて大きい、僕の永遠たちを思い出す。

もう笑わないのに 温かいいがい
ふあうすと2015年1月号「明鏡府」掲載


[川柳]きかいさえあればふゆうの僕なのに

変化球で三振を狙うようなことをしてみたくて、こんな句を詠んだことがある。「きかい」は「機会とも機械とも」。「ふゆう」は「浮遊とも富裕とも」。機会があれば浮いてみたい、機械があれば浮けるよね、機会があれば裕福になれるよ、機械があれば裕福なんだ。ないものをねだってみるのはいかにも人間らしい自分らしい弱さだなぁと思うのだけれど、狙いすぎたかもしれない。6月になって決算月、浮遊もできず富裕にもなれず、機械を抱えて機会を求めて、汗。

きかいさえあればふゆうの僕なのに
ふあうすと2015年1月号「明鏡府」掲載