月別アーカイブ: 2015年2月

[川柳]「正しい」を決めると偉くなれますか?

正しいという言葉の不確かさを認めることが僕の正しさであって、誰かの決めた正しいは誰かの正しいであってほしい。僕の持つ定規と君のそれとが同じ30cmであるということはわかっていても、本当に同じ長さなのかどうか、同じ長さであったとしてもどちらも正しく30cmであるかということは誰にもわからない。人生って案外「まぁ、これが30cmってことでいいよね」くらいの妥協でうまく回ることが多い、ような気もしている、のだけれど、これにも反論があったり、共感があったり。曖昧を僕と呼ぶ、そんな僕の正しさで、どうもどうも。

「正しい」を決めると偉くなれますか?
ふあうすと2015年3月号「明鏡府」掲載


[川柳]肩書きにバカって書いて逢いましょう

耐えることだよ待つことだよいつか必ずと聞かされて、なんとなくココに居続ける。よりも、「あっちの方が楽しそうじゃない?」と笑う人たちの方が結局楽しそうにしていることを実はもう知っている。信じるという言葉の裏側には執着という粘着があるのかもしれず、春、捨てることのできる人間になってみたいとも思う▼10年前の2月に「ふあうすと」を知った、川柳を始めた。川柳は人間であるという言葉に心惹かれた。ドロドロも吐いて人間、ウキウキも添えて人間。あるがままを肯定しながら、ここからの10年も詩歌に詠んでいく。

肩書きにバカって書いて逢いましょう
ふあうすと2015年3月号裏表紙


[川柳]古代文字 きっと誰かのドラマなど

抱き合う男女の埋葬遺骨、先史遺跡で発見 ギリシャというニュース。ふたりは生きているとき、どんなことを語り合って、どんな夢を共有しあって、眠りについて以後、地上の変化をどんな風に眺め続けてきたのだろう。想像は尽きない。誰かの物語が紡がれて、今がある。神話の世界は角を曲がったあたりに、幾重にもなって紐解かれるのを待っているのかもしれない。

古代文字 きっと誰かのドラマなど


[川柳]爪を切る 君のいた日の三日月の

父や愛犬が亡くなってしばらくは、その場にあるものを片付けることがとても躊躇われた。失ってしまった悲しみと同じくらいに、失ったことを確認していくひとつひとつの作業は刺さる。共有した時間は僕の細胞を形成していて、何処かにはあるはずなのに、時々見失ってしまったような息苦しさに襲われることがある。どんな風に一緒に散歩をしただろうとか、どんな風に名前を呼んでくれていただろうとか、思い出すカケラたちはどうしてこんなにも眩しいのだろう。

爪を切る 君のいた日の三日月の
ふあうすと2014年12月号「明鏡府」掲載


[五行歌]指差しをして色々を確認して、指切りをして色々を約束して

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生き方の美学にこだわってる場合じゃないだろうって思うこともあるけれど、生き抜いた先に槍が降るのをわかっていて未来を語るのはしんどい。ちゃんと選ばれたかどうか、ちゃんと喜んでもらっているかどうか、ちゃんと対等でいられたかどうか、ちゃんとちゃんとができていたかどうか。指差しをして色々を確認して、指切りをして色々を約束して。


[短歌]名刺にはいろんなことが書いてある僕は私はすごい人です

二つ折り名刺の功罪について書いた。貰った名刺を見直す機会よりも、名刺をもらった時の会話を思い出す機会の方が多いと思ってる。ならば名刺は「何を伝えるか」よりも「何を聞かれるか」に主眼を置いた方が良いのではないかというのが僕たちの考え方。今日いただいた名刺にも、カタカナがたくさん並んでいた。カタカナの意味も知らず、調べる気もない僕は馬鹿だなぁと思う。

名刺にはいろんなことが書いてある僕は私はすごい人です


[五行歌]マジメスギテオモシロクナイ星人の僕には

真面目な会議に参加していたはずの僕のノートには「お腹が空いた」や「眠い」という文字が書き連ねられている。きっとここではカクアルベシなんだろうけど、マジメスギテオモシロクナイ星人の僕にはいささかハードルが高すぎたよう。駄目なのはわかっていても、背伸びして嘘をついたところで見透かされてしまう。だったら僕は、こんな僕を許されようと思って今日もお腹の虫を鳴らし続ける。らしくらしく、無理せずありたい。