月別アーカイブ: 2013年12月

短歌 20131223

黙祷の睫毛を濡らす雨きっと過ちに向く僕らのための

遠い国の遠い歴史のように錯覚してしまう8月6日の朝の儀式。テレビでぼんやりと眺めていたその瞬間、降り出した雨が僕を我に返らせた。積み上げという現世に生きていて、「いま」や「ここ」を構成する礎を忘れては、僕たちの中にある螺旋は無のままに赤い涙を流してしまう。

平和という温かい層のしたにある幾多を詩にするにためにはどうすれば、なんて、おこがましいのは承知しているけれど。

(2013/8/6 詠)


川柳 20131221

お世話など 会えないままの年賀状

「お世話になりました」「本年もよろしく」という挨拶を交わしあいながら、お互いが元気なまま、今年こそは逢いたいと願う。過ぎていく時間はあっという間で、昨年の今ごろも来年の今ごろも、同じ想いを同じように繰り返していそうだけれど▼2014年、事務所を移転予定。箱だけを改めるのではなく、新しい要素の加わった中身を透明に表現していきたい。数々の失敗を財産として伸ばす芽が、そろそろ、それぞれ、居心地の良い場所で咲き人の集うように走る、伝えていく▼まだまだ、を、支えていただいたすべてのみなさんに感謝と、今年のよろしくと。祈。

ふあうすと2014年1月号裏表紙


川柳 20131207

カフェインを足して戦士の貌になる

感じのいいカフェの奥の席は電波の入りが悪くて、メールを送信しようとするたび、僕はシャツの皺を伸ばす振りをして腕をぴんと張る必要にかられる。これが絵になる男ならば、さて、どんな風にこの窮地を乗り切るのだろう。カフェは今ふうの男女たちに好評で、昭和生まれは少しだけ無理をして、苦すぎる珈琲を飲んで過ごした。


川柳 20131204

暮れなずむ街 シャッターの見てた夢

魚たちを上手に飼えるようになると、熱帯魚屋さんに足を運ぶ回数は少なくなる。子どもの頃から色々なことを教えてくれたそのお店の前を通りかかると、シャッターに貼られた一枚の紙が冬の風に揺れていることに気が付いた。「まんま」があり得なくても、その歴史の終わりを知る余裕さえないことに時と日常の残酷を思う。魚たちとおばちゃんの行方はもう。